辻本侑生
「なぞとき×こうさてん」事業は、熊本県甲佐町の公営塾「あゆみ学舎」と、ラボラトリ文鳥の協働により、甲佐町にゆかりのある中学生・高校生と一緒にまちを歩き、地域づくりにつながる探究学習を行うプロジェクトです。
この活動の一環として、「ナゾの見つけ方を体験しよう」と題し、中高生たちにとって見慣れた甲佐の街でも、これまで入ったことのない場所でフィールドワークをしてみることを試みました。以下は、2022年7月30日に実施したフィールドワークの記録の文章です。暑い日にもかかわらず、快くご協力いただき、記録の公開もご承諾いただいた田上さん、赤星さんに心より感謝申し上げます。
今回のフィールドワークでは、昨年2021年12月の訪問時のまち歩きで気にかかっていた、甲佐高校のすぐ裏手にある「観世音堂」を訪ね、管理をされている田上眞喜子さんにお話をうかがった。田上さんはたっぷりのドーナツを揚げて私たちを待っていてくださった。
田上さんによれば、この観音様は近隣の家々で拝んでおり、以前は20軒ほどの家で、年2回(7月10日と11月18日)のお祭りをしていたが、今ではおがむ家は9軒となり、お祭りは11月のみである。かつて観音様は加藤神社の近くに祀られていたが、台風で元の建物が破損し、1985年に現在の場所に再建された。このときは甲佐町の多くの人びとから寄付があったほか、ハワイに移民した田上家の親戚からの寄付もあった。
お堂の中でお話をうかがう。奥の花柄の幕はハワイの親戚から寄贈されたもの。
観世音堂の後は、甲佐神社に向かい、宮司の赤星出さんにご説明をいただきながら、明治期に建てられた拝殿の中を見学した。赤星さんは神社が「祈りと感謝の場」であることや、甲佐神社の2210年にわたる長い歴史の中で、様々な神話や物語があること、そしてそうした歴史を示す資料が拝殿の中に飾られていることを説明くださった。
甲佐神社でご説明をうかがう
今回訪れた観世音堂や甲佐神社の拝殿内部に足を踏み入れるのは、参加した甲佐中学・甲佐高校の生徒たちのほとんどにとっても、初めての経験だったという。昨年12月に実施したまち歩きのように、知っているところを歩いてみることに加えて、身近であっても知らないところに足を踏み入れ、関わっている方に話を聞いてみることは、「なぞ」を探したり解いたりするために大切なことだろう。
他方で、まだまだ多くの謎が残されることとなってしまった。観世音堂がどの場所にあったのかは、地図を見ながら実際の場所を訪ねてみないとわからないし、観音様の詳しい由来は観世音堂の中に残された由緒書や観音像そのものを詳細に調べてみないとわからない(これは歴史学や美術史学の専門知識が必要となる)。また、田上家も、甲佐神社も、阿蘇との深いかかわりがあると説明されていたことも、気にかかる。これら残された「なぞ」を解くのは、また次の機会になりそうである。
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