「町のシンクタンク ラボラトリ文鳥」のコンセプトは、さまざまな書籍や取り組みから刺激を受け、それらに下支えされています。「活動コンセプトに関わる記事」というカテゴリーでは、日本各地や世界各地のユニークで重要な活動を紹介することで、「文鳥ラボ」のコンセプトを深化していきます。
今回は『町を住みこなす:超高齢化社会の居場所づくり』(岩波新書、2017)を紹介します。
様々な生活スタイルを支えられるような柔軟で包容力のある町のありかたを教えてくれます。
筆者本人による紹介文では、こんなふうにテーマと読者を設定しています。
本書は、このように、既存の町を、多様な人々に住み続けられるための住環境に、どのようにつくり変えていくべきかを考えるための書であり、行政、町づくりの専門家、建築家、そして、町内会や自治会や地域で活動するNPO法人の方々に読んでほしい本である。
タイトルにある、「町を住みこなす」という表現に惹かれます。
「こなす」は漢字で書くと「熟す」で、「じゅくす」とも読みます。「町を住みこなす」とは、何かが「じゅくす」ことなのかもしれません。筆者によれば、「住みこなす」とは、時の移ろいや家族構成の変化に合わせて、そのたびに生活の方法を工夫することです。「生活」というと家のなかを思い浮かべるかもしれませんが、筆者は数百メートル程度の「町」の範囲で捉えなおすことの大切さを強調しています。そして、「町」が一人ひとりの生活を数十年にわたって支えられるかどうかに注目しているのです。この本は、わたしたちが思い描く以上に「生活」というものが広くて長いものだと気づかせてくれます。副題の「超高齢化社会の居場所づくり」からも分かる通り、高齢者に焦点を当てた本ですが、若い世代で足腰が丈夫な人にとっても、「家族」や「友人」との生活の工夫について、ヒントを得られる内容になっています。
キーワードは「近居」です。
近居とは、親世帯と子世帯、あるいは兄弟同士などが、近隣地域の範囲の異なる家屋に分かれて暮らすことです。近居の家族たちは、ときどき食事をしたり会話をしたりする程度で、ゆるやかな交流をしているという調査結果が紹介されています。近居をしている人々のなかには、同居できればそうしたいけれど実際はできないという家族と、同居はしたくないからこそ妥協策として近居している家族とがあって、事情はまったく違います。近居は、一見すると別居と似た状態ですが、「別れる」よりも「近くに居る」という言い方にポイントがあります。そこに気軽な見守りのありかたを読み取ることができるのです。2005年から「地域包括ケアシステム」が始まりました。介護施設を増やし続ける財政的余裕がないため、高齢者の生活をケアする体制を、病院や介護施設ではなく、住み慣れた地域のなかで整えるという制度が設けられたのです。各地域の地域包括支援センターで相談を受けたり、地域での生活支援や介護予防を行っています。
「近い」と言っても、どれくらいの距離でしょうか。
近居に注目する本書は、「近さ」の具体的な距離についても検討しています。例えば、赤ちゃんと一緒に⾏動する親にとって気軽に移動できる距離は400メートルくらいで、⾼齢の方であればその距離は200メートルほどだそうで、足腰が丈夫で自由に動ける人の感覚とは大きく違います。そこで弊害になってしまうのが、住宅街における建築のルールです。静かで住みやすい環境を作るために決められたはずのルールによって、店舗が経営しにくくなるなど、⾼齢者が⾃立して生活を営むには負担が⼤きくなってしまうという欠点があります。
筆者は何を問題視しているのでしょうか。
生活スタイルが似ている者どうしで集まって住んだ方が快適なはずだという考え方があります。しかし、町全体がひとつの生活様式に合わせて発展してしまった町は柔軟性や包容力に乏しく、地域でケアをしていくための体制が整いにくいのです。様々なニーズに応えるようにして町が発展すれば、多様な世代や職種、生活様式を持つひとびとを受け入れられるようになるというのが筆者の主張です。今は力持ちの若いひとも、30年後には年をとって足腰が弱ってきて、見守りや助けが必要になるかもしれません。多くの人は、人生のいくつかの段階で見守りや助けを必要とし、いくつかの段階ではコミュニティよりも個人の自由を欲します。町のなかには、コミュニティを必要としている誰かと、必要としていない他の誰かが共存するのが常なのです。筆者は、多様なニーズを持つ町を理想形として提案し、それを「ホワイトノイズ状態」と喩えています( ホワイトノイズとは、いろんな周波数の音が同じ強さで含まれているノイズのこと)。ひとりで自由に暮らしたい時期のひとも、誰かにケアをお願いしたい時期のひとも、それぞれが町なかに楽しみを見つけられるように、ひとつの町がいろんな顔を持つといいですね。
筆者は、こうした知見を災害後の仮設住宅のデザインに活かしています。
被災するのは、人や住宅だけではありません。町そのもの、そして暮らしそのものに広がります。寝る場所だけでなく、働く場所や買い物する場所、遊ぶ場所や集まる場所にまで被害が及ぶとき、一番に仮設するべき生活の場所とは、どんなものでしょう。
阪神淡路大震災が1995年に起きたとき、仮設住宅では高齢者の孤独死が問題になりました。2011年の東日本大震災のとき、その反省を仮設住宅のデザインに反映させるために、筆者は高齢社会総合研究機構(IOG)という組織の一員として活動しました。IOGとは、様々な分野の研究者が集まって高齢化社会の課題に取り組む組織です。東日本大震災のあと、筆者たちは、仮設住宅のモデルを作り、実際にそれが岩手県釜石市と遠野市で採用されました。「コミュニティケア型仮設住宅」と名付けられたこのモデルでは、画一的な住宅を並べずに、子育てゾーン、ケアゾーン、一般ゾーンの3つのエリアを設けられました。ケアゾーンでは足腰が不自由でも移動しやすいようにし、子育てゾーンでは子どもを見守りながら家のこともこなせるように工夫しました。この2つのゾーンにおいては、ゆるやかな見守りが必要な人々が互いに交流しやすいようにし、一般ゾーンではプライバシーや静寂を大切にできるようにデザインすることで、仮設住宅においても生活スタイルの特徴を捉えたのです。仮設住宅での生活は長期化することも珍しくありません。被災後に必要なのは、「仮設住宅」ではなく「仮設市街地」だと筆者は主張しています。
まとめ
暮らし方や価値観が違うとき、ご近所さんと話し合うというのはなかなか難しいことです。挨拶するだけでも勇気がいります。互いの暮らしを尊重しつつ助け合うようなコミュニケーションの方法こそ、まず第一の、そしてもしかしたら最大の課題になりそうです。文鳥ラボで、取り組んでいけたらと思っています。
おまけ
本書とは関係ありませんが、WIREDに掲載された記事「タコも『街』をつくることが判明──⽶研究チームが発見した『オクトランティス』の秘密」もチェックしてみてください。単独行動だと考えられてきたタコですが、貝殻の⼭のなかに⾃分と他のタコの寝床を一緒に作ったほうが、独りよりも安全で餌も得やすいと知っていて、「近居」を実践しているようです。
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